自分が他人から護ってもらはなくてはならない状況の人が
居るとして、そのような状況を抱えてどうして、「他人を護れると云うのか?」他人を護りたかったら、自分が護られなくてはならない状況を、
先に解除しなくてはいけないのです。AさんがBさんを護ったら、BさんはCさんを護れると云うものではないのです。上記の連鎖行為は、
高橋佳子の提唱しそうなことですが、間違っているのです。(愛の概念にカブれ、善悪を無視して)何事も連鎖すればよいとする考え方が間違っているのです。
途中に介在するものが考慮されていないのです。原点が愛であれば、結果も愛になるとなると云う、安易な考え方が、今日の大きな事件に発展したと言えるのです。
一人の人が独自に行うことと、複数の人が共同で行うことの
区別ができていないのです。あのような者の提唱することは鵜呑みにしてはいけないのです。よく吟味して間違いは厳格に処理しなくてはいけないのです。
私が、加代子さんを護れるか?護る必要はないのか?は、私には解らないのです。それが困るのです。無駄事であると言われても、
一定の努力は残っているのです。真実を当人から明確に回答していただきたいのです。当人から回答1いただけなければ、国家公安の意向で第三者
(疑惑のある者ではいけない)を通してでも報告されなくてはならないと思います。
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私は、自称養父とは伯父、甥の間柄なのです。それなのに
真剣勝負になればこう云う事態になったのです。タカダカ、学校の同級生の縁など、真剣勝負の前で躊躇する分けはないだろう。「認識を改めてもらいたい!」
それとも、はじめから、何らかの目的があったと云うなら、何を対象に真剣勝負を行うつもりだったのか?と言いたくなります。
尚、想念上の感に属するものですが、私はロシア正教?のお守りをいただいております。(現実に効いているのです)護っていただいていると云えるか知れません。
何故もらったかは、「贈られる」ものは貰うことが礼儀なのです。邪なものは効力がないだけでしょう。多分状況を心配していただいたものと思います。
注:お守りと云っても想念上に侵入する悪霊に対するものでした
「オレはそのような事には困りはしない」などと言っていても、知らぬが仏では駄目です。実際困るのです。
しかし、縁起の法則は起動してもおかしくはないのです。
尚、幸福の科学大川総裁は、心は、ガラス張りのようにしておかなくてはいけないと教説していました。当人が自分自身そのような心の状態にあるか?については、
いささか疑問に思われますが、言っていること自体は、間違っているとは思いませんので、自分の責任に於いて、私は、心の中をガラス張り同様の状態に致しますので、
ご了承下さい。間違いがあっても大川総裁のせいにはしないと云うことです。
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