悪魔は正体を見破られると悪魔の仕事ができなくなる


以後当ページに記す題材を「ノウハウ関連事件」記します。
事件の発端は繰り返し述べてきたことですが、トヨタ自動車の幹部候補からGLAに転身した谷口建彦が、当時のトヨタ自動車の会長であった豊田英二に私に断りもなく、 私を勝手に紹介し、その事実についても報告の責務を怠ったばかりか、本部副事務局長と云う地位にありながら、支配下中京本部事務局、中野富敏にGLAは、 私の職場に関係する人には関わってはいないとの意味の 文書を通告したことにより生じたものです。

以上までは谷口建彦の責任になりますが、私の推測の範囲内のものでます。
この状況の中で豊田英二は、私の「言い分は聞くだけは聞いてヤラなくてはいけないと」当時のトヨタ自動車の社長であった、 豊田章一郎氏や私の職場周辺の人達に説諭していた様子が感じとられました。上記言葉は、チョット見には人格者らしい言葉のように観えますが、 彼の増上した心が反映しているのです。私が犯罪者なら上記言葉は当人の自覚の通り、人格者の言葉と言えますが、私からすれば犯罪者扱いの言葉なのです。

私は、谷口建彦に多分「良かれ」と思って紹介されたと認識しています。
想念行為では常識を欠いているのです。しかし、結果は懲罰を与えられるために紹介されたとおなじことになったのです。このような事態を、 霊的に観れば悪魔の増上慢なのです仕業と私は位置ずけています。何が基になっているか?と言えば増上慢なのです。詳しくは、増上慢と自覚していない増上慢なのです。 悪魔と云うものは本人には自覚させないようにするものなのです。自覚されたら悪魔の仕事ができなくなるのです。

よくよく考えてみれば、上記彼の言葉は、はじめから、私が、非業の
死を遂げる人間であるかのような意味をもっているのです。悪意を持って表現すれば、悪魔が予見して放った言葉のようにも解釈できるのです。 経緯の途中であっても彼が、自分の想いの中味の間違に気付いていたなら、事件は解決不能にはならなかったはずです。 私は、現在は彼の生死には関心はありません。他界しているなら、遺族は事件の解決に尽力する責務があると考えております。有形無形の遺産を受けているではないか? 私は子孫の血筋切れになったのです。

  子孫の血筋切れは、子供達本人が結婚を望まなかった。と云う事情は
検察が調査すれば出てくるかも知れません。しかし、子どもと云っても既にいっぱしの大人だったのですから、状況を考慮しますし、 私自身そのことは釘を刺さなくてはいけない事態だったのです。説明すればウラ事情を抱えたまま結婚されれば、相手方の家族とも軋轢が生じるのです。 軋轢が生じないようにするためには、私がウラ事実は存在していないことを認めなくてはにらなくなるのでのです。上記のGLA文書を認めることになるのです。

検察には認めたらどうなったか?シュミレーションで検証して
いただきたいと思います。実際に子供達本人がその時々では結婚を望まなくても、人生は変転万化するのです。親としては結婚の道を閉ざしてはいけないのです。 しかるに他によって閉ざされれれは、現状の如何に拘わらず非難すべきことなのです。名指しで非難して何が悪いのかと言いたくなります。人倫に反する行為なのです。 国が事態放置すれば人倫に反する行為を認めたことになります。国が悪魔にしはいされる第一歩になることは間違いありません。検事総長は隠れ幸福の会員なのか?

※三代松さんは梅毒を患ったが治ったけれども子供は
できなくなったのとでした。梅毒菌は病気が完治しても残るものですか?残るのであれば感染はどのようになるのか?お知らせ下さい。 加代子さんは余計な気遣いは却って邪魔になりますので、(検察その他に利用されるのです)面会の希望があれば、事件が解決してからにして下さい。 解決しなければね面会不要で結構です。検察でも政治家でも悪魔の実際に被害に遭ったことのない人は、悪魔とはどのようなものかは解らないのです。

ある短編小説を読んだことがあります。筋書きを紹介します。
一人のママ親を持つ少女が栄養失調で病院に運ばれてきたとのことです。ママ親は病院から注意を受けさっそく重箱に入った御馳走を持参して見舞いに来たとのことです。 毎日毎日同じことが繰り返されたけれども、障子の健康状態は一向に回復しなかったとのことで、病院側が調べたところ、重箱の中のごちそうはからで、 おいしそうに食べる演技をさせられていたとのことです。要するに見かけと内実が違うことを行うのが、これが悪魔の本質なのです。

見かけと内実が違っていてもよいのです。上記と矛盾しますが
意味が解るでしょうか?その行為に於いて、外見は貧しくても、内実が豊かであれば悪魔ではないのです。「狂人のまねをして、街を歩むものはこれ、 即ち、狂人なり」「悪魔のまねをする者はこれあくまなり」です。愛を逆手に取ることを貪りと云い。多かれ少なかれ誰でも無意識の内に行うことで 必ずしも悪魔の行為とは言えません。慈悲を逆手に取る行為は明らかに悪魔の行為と言わざるを得ません。

私個人に関する人権侵害は、国が大海勉君に自称養父の代理謝罪を
行政指導すれば解決します。但し、ロシアその他の外国が、オーム事件や、経済困窮に乗じた若年少女買春ツアーなどで、 (民族の冒讀と受け取られる⇔民衆の中に口には出さねど覚えていろと云う感じようが生じる)政治問題で解決すべき事でなく良識で解決すべきことである。 戦争(経済戦争)に負けて自分の妻子が敵兵に凌辱される様を見ているようなものなのです。  




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