前ページに続き・・。さらに状況を厳しく推測すれば、トヨタが
GLAもしくは幸福の科学に一方的に悪者にされかねないので、試さざるを得なくなったと言う事情も有り得るのです。
そこから発展してトヨタが、政治家を叩いてホコリが出たとしても私には関係ないのです。掃除がしたかったなら自分で掃除しなくてはいけないのです。
私はその時期、建前上はトヨタの責任を追及していました。理由は神の代理人を戴いているとする。GLAの責任をトヨタ側の情報を得られないまま、
単独で追及することは不可能なことだったのです。トヨタとしても、当方の思惑を入手することは不可能なことではたから、
私とトヨタの間でアツレキが生じるのは理の当然だったのです。
自称養父は、そのような複雑な洞察の出来る人でありません
でした。複雑な洞察は他人の立場4が解らなくては理解できないのです。知能の問題ではないのです。彼は、目に映る現象だけを対象とした、
思考しか働かなかったと考ええられるのです。私のためを想って行ったと思い込んでいたにすぎないのです。潜在意識の中には、
私に恩を売らなくてはならないとする想い、言い換えれば負けてたまるものか?と云う想いが心中を圧迫していたとも考えられるのです。
表面意識と潜在意識が食い違っているのですから、が建前は私のためであり、行為として現わされた現象は、恩を着せる行為になるのです。
本当に私のためと想っていたならば、当人自身の方から、私にコンタクトを取り、事情を聴くと云う行為ができるはずなのです。
キ
「殺すぞ!」と云う言葉が耳に入っても、私にコンタクトを取れなかったのです。
無益な対抗手段をとって、私を守るためには仕方なかったと思う想いが、彼を支配しつづけていたものと考えられるのです。その考えが出ること自体が、
私に勝って恩を売らなくてはならないと云う彼の潜在意識なのです。「殺すぞ!」と言ったと思われる言葉は、多分矛盾がありありと解ったであろう豊田章一郎氏が、
自称養父を試す方便の言葉であったとも推測できるのです。しかし方便としての役目は果たせることなく、トヨタの自作自演の狂言となったのです。
「殺す!」と云う言葉自体は方便としての結果が得られなかった以上、如何なる理由があっても許されるものではないのです。
以上は、仮にGLAが自分自身の責任で解決できればトヨタ&自称養父に非が有ると言えます。
GLAが解決しなければ、GLAの犯罪と云うことになるのです。
又、幸福の科学も宗教の問題は宗教で解決すると公言していたのだから、解決できないなら、前言を裏付けていた資格の根拠を、取り消していただき、
間違いを認めていただく必要があるのです。宗教界のリーダーとの認識は、他人の間違いを誘導していたのです。例によって推測ではありますが、
根拠としては、豊田英二氏が大川総裁に謝罪した節があるのです。事実の可能性もあるのだから、私も幸福の科学によって解決がなされることを、
視野に入れて行動せざるを得なくなるのです。国が乗り出すとしても、幸福の科学は公言通りの内容を持つ組織か?否か?を先ず検証していただく
必要があるのです。さもなくば、国の責任を一方的に追及するしか仕方がなくなるのです。
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