警察や検察が宗教理念でカルト宗教に勝てなくてもよいのです。
自分の持ち場で勝てればよいのです。何で偽商法に勝てなかったか?不思議で仕方がありません。神が存在するなら警察や検察が私に勝てる分けはないのです。
公安当局にとって当方の家内の件は楔となっているのです。神が打ち込んだ楔とみなしていただく必要があります。甘えた考え方では抜けはしないのです。
真実の姿が少しは解りましたか?解らなければ教えであげることもできます。無言の圧力などと云う業(シラを切っても通用しなくなるでしょう)
を使うから楔が打ち込まれたのです。癲癇(テンカン)が起きたなどと云うことがないように対処していただきたいと思います。
霊的反作用は、私自身が起こすのではありませんので
上記内容が高圧的であっても私が批判される所以はありません。批判は心当たりのある人が行うだけなのです。
以上神の裁きを持ち出した以上ここがポイントで、他の人でもできるように書かなくては啓蒙にならないのです。反作用が起きて困るなら、
苦情は神に言いなさいと云う意味です。反作用が起きなければ、例え邪心を指摘されても苦情なと言はなければよいのです。無視することができるなら、
何故苦情を言うのか?と云う意味です。問題は反作用が起きるか?起きないか?なのです。神の裁きは一律ではないのです。勘違いしてはいけません。
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02
誰でも霊的な力を望みます。それがない書は啓蒙にはなりません。
私が啓蒙できることは反作用の起きる資格得ることだけです。願わくば多数の人に反作用が起きるようになっていただきたいと云う意図を持つものです。
批判は下から上は観えないためです。面と向かった批判ができなければ、代わりとして高圧的に出られるのは世の常なのです。
私もヤラれたと言えばヤラれているのです。(豊橋警察署前の事件は何か?)尚、霊的力をこの世的力で排除することはできても、傀儡利用することは不可能です。
例えば、霊能者を使って暗殺やスパイ行為に利用することはできません。共鳴による同盟はできます。又、この世の力で悪魔を傀儡にすることもできません。
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03
霊的な現象は深遠ですので、どちらからも傀儡にしたつもりが
傀儡にされていると云うこともあり得ます。広い意味ではこの世的力も霊的な力と言えるのです。転生を含めてどこまで長続きするか?の問題なのです。
勿論、加算することも永続させることも可能と思います。肉体先祖の遺徳など三代までです。国家公安当局の中には、対カルト対策の件で私が
勝ちを収めることができたのは、国が政治参入を阻止したからであるとの見解もあり、一面の事実でもあります。、要する最後には非合法の
強権を行使したと云うことですが、それ以前に合法的に排除できてものを、強権の行使と云うことは一種の威嚇でもあり、
一般的に威嚇を通用させようとの意図が見え隠れします。
私を対象とした威嚇がなければ、反作用は起きないでしょしう。
「どの道お前も最後はこのような処遇をうけるぞ!」との意図があれば、心当たりのある人に反作用が起きるでしょう。責任者個人の徳性は受け入れられないことです。
霊的な賞罰は組織には組織には起きないのです。言うならば霊的責任者(心当たりのある人とは限りません)に起きるのです。
まさか、政治参入の阻止は教祖である大川総裁との馴れ合いではないと思いますが、馴れ合いなら相手は総裁の息のかかった人物にしかできないことです。
もっと危険なことなのです。
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