霊的に許される行為とみなさせていただきます


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当事件は私が単独で解決することは不可能ではありません。
興信所に事実の調査を依頼すればよいのです。 簡単なことです。切り札として隠し持っていたのではなく、 既に公開している手段です。しかし、国家権力でその行為を阻害することは依然として可能なのです。(一度でも経験があれば許される見解です) すり替えの多い人は、連想が途切れるのかも知れません。事実ならその辺りから改善しなくてはならないと思います。 その事実を国民に知らせる手段は正当行為であり、手段はインターネットしかないのです。大手メディアでは国家1権力に逆らうことはできません。 上記論理をさらに進展させれば、当事件の原点は国家権力に逆らうものか?否か?の問題が問われなくてはいけません。 私は、原点に国家権力に逆らう内容はないと、認識させていただきます。

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さらにつづければ、客観的根拠のない 霊的な 意味を先取りして
この世の事態に対処した結果の産物と結論します。要するに力勝負なのです。以前から戒めていたことです。私は、如何なる(一つとは限らない) 霊的な意味をも先取りする者ではありません。霊的意味は結果としてそれぞれの個人に与えられるものと考えております。 「このようなことを行っていてはいけない」と云う見解を持つことは簡単です。しかし、私の行っていることか、 国家権力が行っていることかを明確にしなくては意味がありません。私は、内閣総理大臣に謝罪されても国の犯罪とは認めかねます。解決に先立って謝罪されれば、 責任を謝罪されたものと解釈します。つづければ、上記は国民の監視があって初めて可能なことなのです。インターネットの公開は必要なことと思います。 当ページに記す内容が不都合なら国民に閲覧を禁じることが筋論です。

e10トラフィックエクスチェンジ

鳩山邦男さんが氏の祖父である鳩山一郎元総理大臣の遺言を持っている
可能性もあるのです。鳩山さんが総理なら、別のやり方が私にもあるのです。要らぬお節介を囁く存在がいます。生霊と思います。お気を付け下さい。 私は小沢一郎さんの想念でも示そうと想えば示せるのです。間違う可能性もあるので示せないのです。だったら示せないと同じだろうと言いたいのでしょう。 総理大臣なら間違ってもよいのです。個人とは違うのです。そのくらいの判断は自分でできます。お節介は「大川隆法か?」 あの世の霊なら相手にしてはいけません。二人も三人もの政治家が一致して人殺し(不法な処刑)などできると考える者の方がおかしいのです。

23快適生活

私の大学入学試験は、再試験などを設け、私を落とすために
企画されたかのような想念も入りました。18才〜19才当時です。未成年者です。お確かめいただいても結構です。国会議員選挙の参考になるかも知れません。 創作想念なら、いたずらでは済まされないものです。上記が真実なら処遇を受けた原因は過去世にあることになります。興味本位で取り組むことではありません。 このような霊思想があってよいものか?思想ではなく真実なら直一層、無実の人といえども反省、注意する(不可能なこと)よう呼び掛けねばいけません。 皆様方にもお考えいただきたいと存じます。はじめに記したように私は、興信所に調査依頼する道が残されていますので皆様に ご迷惑をお掛けすることはありません。但し、興信所が、官憲の指示により依頼に応じることを禁止されたか? どうか?は私はしりません。各自にお確かめ下さい。

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これからの世は、神が裁断、賞罰を付けてくれるから
警察も検察も裁判官も不要にはなりません。依然として今まで通りの仕事を行わなくてはならないでしょう。現在進行形で当記事を原因として、 該当責任者がバタバタ倒れた(命に別状はない)と云う創作想念も受けましたお確かめ下さい。さらには、高橋佳子、大川隆法が自分の間違いを認め、 神に謝罪して今後は私の下に位置して、もしくは呼応する形(独自の思想、手段で)償いを行う決心をしたのかも知れません。 そのような決心はなかったのかも知れません。私の関与すべきことではないと理解しています。したがって姿勢を変えることはできません。 もう大丈夫だなどと思えば、足を踏み外して深い崖下に落ちることもあり得るのです。僅かな亀裂も踏み外した瞬間に広がることもあり得るのです。 皆様も足を踏み外さないようにして下さい。

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この世的には、官憲は依然として高橋佳子、大川隆法を詮議して
結果を「無罪なら無罪、有罪なら有罪」と国民に報告する義務が残っています。不可能であっても該当しない人を詮議処罰してお茶を濁すことは許されません。 獄門の件でも足を踏み外すことはできません。踏み外さなくても地面が裂けて広がることもあり得るのです。創作想念の記述べるに関しては、 他から送付されたもあり得ることを前提にしたもので、自分自身のものと断定できなければ仕方がありません。 自分自身のものと断定できれば必要のない記述であると云うだけのものです。私が断定できないだけのことです。特定個人が他人に送れるか?どうか? を調査する仕事は官憲の行うことです。他にも例があれば可能とみなせるのです。事実の認証を私に求めても意味はありません。そのように心得ております。

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絶対に自分の非を認めない姿勢なら、私は詳しい経緯は知りませんが
オームの麻原でもあの世で逆転する可能性があるのです。私は相互間の非は指摘されないままに認めることはできません。 指摘しないで認めさせることのできる存在は良心だけです。指摘されても認めることのできない場合もあります。認めさせない存在も良心になります。 神の裁きが現出しているか?どうか?は、想像できても事実は知りませんが、現われていれば、細工や作為は通用しないとご理解下さい。 各自で(談合は無理と思います⇔打ち合わせは内容によると思います)良心に問い合わせて対処していただいた方がよいのです。 尚、私に危害又は、不徳行為のない人が反作用が起きたと云う公言はいたずらか?何らかの目的をもった作為と認識します。誰の反作用か解らないのです。  記(2010−10−28)  

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