私は、創作霊的世界観は想像の産物ですから変更もできます。複数できます。
真実の霊世界があるか?どうか?は未だ解りません。しかし、想念が死んだ後に残るのは、どうやら真実のようだと思います。
^変更ができることも、あの世の真実かも知れません。その現象は永遠の繰り返しができることになり、反省を促される作業でもあるでしょう。
この世で反省の進んでいる人は、あの世で速やかに反省が済み、転生が可能になるとも想像できるのです。しかし、あの世はそのような特定できない世界ではなく、
真実の世界があるとも推測できるのです。さらには、あの世などないのかも知れません。あの世の存在がある根拠とできる現象は、この世で造った
縁の繋がりかも知れません。そうであれば、何かのきっかけで転生が証明されることもあり得るのです。
この世的に考えられないような事実があれば、転生するとみなせます。
転生する根拠が見つかれば、即ち、あの世があるとみなしてよいのです。当ページの内容から、仮にそのような根拠が見つかった場合、私以外の
皆様方は確認できても、私は、確認はできていないのです。唯、転生することが解っても、メカニズムの解明など、あまり深入りしない方が良いと思います。
人類全体の魂のレベルが高まれば自然に解明されることと思います。くどいようですが、私は、どのようにでも霊界観も過去世の物語は創作できるのです。
実際にあの世があれば「殺すことが救うことである」とする愛の方程式も出てくるのです。オームの麻原は、特定個人を指して、
これ以上の罪を犯さないために殺すと言った大義を抱いていた様子です。それに比べれば、私が創作した霊界観など罪が軽いものと云えます。
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