今生で死刑を逃れても来世で処刑される




三代松さんは梅毒を患ったと本人に聞いたことですが、病気は
完治したことになりますが、感染については様々に想像できるのです。陰性の感染はどうなるか?凌辱事件の解決が放置されていればどのような 進展が考えられるか?勝手な想像でも生死に関する問題は記さざるを得なくなります。責任は検察に持っていただくことになります。 現在も、感染者は、定期的な発病予防注射が必要であるならその費用は国が持たなくてはならなくなります。発病予防の援助がなければ、 注射代をはね上げて経済的に追い詰めて殺すことが可能になります。検察の支配の技です。非合法組織に食いつかれる要因になります。お気を付け下さい。 陰性の感染について、訊こうと思えば訊ける人はありますが、事件がそれを阻害しているのです。  

マイナス要因が僅でも原因を反映した結果を生み、その結果が
新たな原因になって新たな結果を生む、これを因果の法と言います。検察は麻原に先手で僅かなキズを突かれたのではないのか?その過程を想像すれば、 テレパシーなど存在しないと思っていたところ、突然想念の中で論理的短刀を突き付けられたような事態に検察は陥ったと解釈ができます。 麻原が処刑できなくなれば、凌辱事件に関係する、如何なる人も処刑はできなくなります。検察は、国体維持と云う信念のために 使命を放棄したと想像することもできます。私は最大の罪人にされかねないのです。追い詰めて生きられなくする、「生殺しにする気か?」

当事件に至る縁起の要因を創りだした(起動させた)該当人は、あの世で
神に無差別殺人(謝罪の具になっている意識は懺悔ですが、一段深い意識ではそのようになっている)例えば、平の清盛が出家して衣をまとっていても、 その下に鎧が見え隠れしていたと云う故事は、実際にはそのような装束をしてい分けではないのです。心の在り方を象徴したものです。 謝罪と懺悔の衣の下に無差別殺人の願望があっても、表向きの懺悔で転生が許されると考えてみることも必要です。次の世で何かを切っ掛けに無差別殺人を行い、 正式に処刑されることにより、より穏やかな地獄に落ち、次は軽い罪を犯して、さらに穏やかな地獄で次の転生の備えをすることになるのです。

尚、無差別殺人の被害者は、その人のと神との対話が
用意されているのです。上記仮説(想像による因果の展開) は、結果は神の愛なら必然の論理帰結です。仮説が耳障りな人は、 無差別殺人の原因となる要素及び、眞説とその証明を提示していただきたいと思います。一足飛びを考えずに、(マイナス要因になる)因果の法をプラスに 働かせることができれば、神に許されたと同じ結果になるのです。要するに今生は逃れることができても、いずれは処刑される運命にあると云うことです。 以上は想像による因果の展開です。又、特定個人の神(神に象徴される高級心霊)との対話は、第三者はその状況を観ることはできても 介入はできないのです。(高橋佳子は介入している⇔宗教的には大きな罪となります)  

自分は自分と神守護霊ではなく神(守護霊手はなく⇔
あの世では守護霊は自分自身)との対話が用意されているのです。神との対話は高橋佳子の言葉ですが内容は微妙に異なります。(全ての人が同じ神との対話) 彼女が、既得権を主張するなら良心との対話にしていただきます。その場合神は同時に良心の中にも心の外にも存在できることになります。 彼女の呼応は阻止できませんが、思想の介入は阻止します。証拠のうらづけ不可能な事柄を基とした思想の統一は不可能です。 宗教の名前は後世の人々が付けたのであって初めから付けるようなったのは現代になってからです。内閣は検察の人員補充の用意は大丈夫ですか? いずれにしてもマトモな解決ができないなら、適当な解決で済ますしかありません。  

  

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