自他に拘わらず過去世を知っていると云う、ことと想像できると
云うことの違いは知っていたら、一つしか提示できないのです。想像なら様々に幾つでも提示できます。但し、以上は通常人の立場から考察したもので
過去生を幾つも知っている人もいるかも知れません。連想を働かせれば、高橋佳子、大川隆法の両者は来世は倫理を説けなくなっていてもよいのです。
所詮、この世は矛盾に満ちた世界であります。従って矛盾そのものを罰することはできません。唯、矛盾から誘導された結果には責任があり、
処罰されるべきものもあります。特定の矛盾が悪を誘導する可能性があれば、事前に排除しなくてはいけません。宗教、道徳道徳の教説に矛盾があってはいけません。
教説でなく個人的な言動であれば、矛盾は仕方がありません。改善がなければ他人と次々に、力勝負になるだけです。
真実の力は愛なのです。私は真実の愛は知りません。
唯、試行錯誤はできます。自分勝手の尺度で、より真実に近い概念を選択することしかできません。一つ説明すると次から次えと説明しなくてはならなくなります。
縁起の法則と云えますが、密教系では、上記現象を受け入れないものもあると考えられます。
しかし、全く説明がなければ禅問答になります。ある程度の説明は止むをえませんが、適当なところで打ち切るべきであると私は、思っています。
上記の「私は真実(の愛は)知りません。唯、試行錯誤はできます」の記述を、ノウハウ事件や凌辱事件に置き換えれて、真実のところを事実、
思考錯誤のところを推測、想像に置き換えれば、そっくり事件に通用しますので、ご理解の参考にして下さい。
尚、神の概念についても思考錯誤を途中で打ち切ったものです。
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