深層意識の自覚の基本は、自分を対象として観るもので
他人ばかり観る癖がつくと、他人は観えても自分は観えなくなり、上げ足取りに終始して、取り返しのつかない間違いを犯しますのでご注意ください。
具体的には嫌な奴だと思われることになり、信など謳ってもあってないも同然になるのです。山本五十六元帥は軍神ではない。悲劇の提督です。
私なら、ミッドウェーの敗戦の責任をとり、早々に引退して戦後に政治家として生きただろう。引退すれば憲兵に狙われ、生きながらえても死刑か?
憲兵を復活させて強権主義体制樹立などは駄目です。人が信じれなくなったら何を信じるのか?答えは自分で出すことです。一つは事実のみを信じると云うことです。
私は大丈夫です。豊田章一郎(氏)が罠を敷くかは想像であり事実ではない。
唯、不思議なことはあります。二階堂さん(田中角栄元首相の側近⇔
生存されていれば、2010-08、現在100才前後)の名前など思いだす謂れはないのに浮かんで来ましたので、記させていただきます。(霊的にとらえれば理由はあるだろう。
しかしこの世に生きている以上この世の常識記に従うしかないだろう)霊的に捉えればどうした方がよいか?などとは考えませんので宜しくお願いします。
私は、不思議なことは経験していますが、不思議なことは、言ってはいけないことだなどと考えたことはありません。公開して不都合が起きた経験もありません。
行ってはいけないこと、言ってはいけないことがあるなら、規則など作らず言葉で注意すればよいのです。
エ
豊田正一郎は霊的規則を守らされた故霊的には自分が罪を
負うことになったとも考えられるのです。(この世的には結果はまだでていない⇔しかし、犯罪は犯罪です⇔以上は推測の範囲内のものです)
上記は、他人から言葉で聞いたもの(想念を含めて心に入った事柄)は、全て公開すると云うことではありませんのでお間違えのないようにお願いします。
何を行ってよい?か悪いか?は、各自の責任で決めなくては、六法全種のようなものを創らなくてはならなくなります。尚、私の「神が存在することを信じる」
との内容は「神が存在する」との前提で何がしかを行うと云うようなものです。マインドコントロール様の信じ方とは内容とは違うのです。
マインドコントロール様な信じ方でも何がしかを行わなくては
神は姿は現わさないのです。(現象は起きない)結局は同じなのです。客観的には無謀のように見えるかも知れませんが、無謀をお行為で間違っても
神の責任にはできないので、読みと覚悟が必要なのです。マインドコントロール様式は盲信、即ち自分本位になる可能性もあり、危険と云わざるを得ません。
「神の存在を信じる」とは強く想うこととは違うのです。単なる肯定でもよいのです。意義のある者は、「信じることが何で肯定ではいけないか?」
よく考えてもらいたいと思います。凌辱事件に関して、二階堂さんが憤慨していたなら、私にとっては「神の存在があった」
ことになり無関心だったら無かったことになるのです。
軍令部、軍令部と聞こえるが、陸上自衛隊に参謀本部、海上自衛隊に軍令部があるのか?
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