当ページに記す事件に関して、私の事実認証については
今後、親戚縁者を含めで任意の個人が好意でもって、ウラ事実を話していただいたとしても、官憲の尋問に対するには何の意味も持たないと心得ます。
「聞いた話」にすぎないのです。従って親戚縁者などが好意で報告しない事実は官憲が制止していると受け止めることも可能になりますのでそのようにならないよう、
政府は御取り計らいいただかなくてはなりません。但し、娘達が報告することは矛盾の板挟みになり、さらなる人権侵害をうみますので、
阻止していただかなくてはいけません。
為政者に忠告するとすれば、宗教や道徳を説く者は
教説の中に矛盾があってはならないよう行政指導を行うべきだと思います。矛盾は誰でも創るものですが、思想として説けば犯罪を誘発します。
したがって私の論議に矛盾があれば罰する前に通告していただかなくてはいけないと心得ます。(既に通知すみ)
尚、私は「自分の説くものがだけが宗教である」とは言っていません。自分の宗教(公式には宗教は信念とは違うから
、霊又は神仏、良心の概念が入っていなくては欺瞞になります。矛盾が生じる原因になります)宗教は誰でも説いて良いものと思っていますので、
お間違いのなきよう願います。
官憲を含めて司法に携わって居た人の中に
「オレは、どれだけ僅かな罪で理不尽にも、大きな罪で処罰された事実を目の当たりにしてきたか?分らない」と主張している人が居るなら、
今こそ内容を公開したらどうか?」実情を公開できないなら「格好のよい言い草」すぎないのです。「オレだって憐みの心がある」
との自己顕示欲の塊が隠されているとみなせます。霊的な反作用など起きないと思います。自己顕示欲は自己表現にしなくては、
幾転生を重ねても霊的な呪縛から解放されることはないのです。又、同じことを行わなくてはならなくなると考えます。
i
▲暁の小道メイン
▲MyHistory
▲木洩れ日の空間 ▲不老の湖畔へ戻る
|