仮に、当事件のウラ事情を当家の家族が知ることになり
私に話せば協力して事件に至らしめた者達の追及ができます。(但し、警察や検察がお手着き警察を行っていないことが条件になります)
お手着き、即ち、彼等も同じように間違いを犯しているなら、警察や検察と云った犯罪取り締まり当局が、先に事件に至らしめた者達を追及して
責任の所在を明らかにしていただかなくてはならないのです。私の方から先に責任の追及をすれば、国の公安当局まで罪に落さなくてはならなくなります。
国の公安当局は、自からの責任を追及することは不可能と思います。(但し、内部の自浄ができれば可能)従って、公安当局は、
当家の家族に事実をありのままに話していただかなくてはならないのです。
国の公安当局は家族に対して、私に事実を話すように
指示しなくてはいけないのです。勿論、以上の実行は、公安当局にとって自己矛盾が生じます。自からの矛盾を被害者にしわ寄せると云った行為はあったと、
推測せざるを得ないのです。真実さえ知れば、小学生でも該当する行為がいけないことは解るのです。うがった見方をすれば、
真実を闇に葬りたいと云う考え方が観えるのです。それは一層許し難い対処方法なのです。私は、ますます真実を公開しなくてはならなくなるばかりです。
しかるに、家内は例の、 GLA小田島氏名義の手紙
が来たと言ったら、「それ見たことか」と言いました。これでは後が続けられなくなるのです。このような人間をパートナーとして、訴訟などできる訳がないのです。
当局の責任者は、上記事情を知っていてていての意見なら
公安当局の責任者の霊的罪は重大なものになります。来世に如何なる人生が予定されるか?覚悟を決めてもらことになります。家内には、誰と一緒に生活しているのか?
と言いたくなります。事実が存在するか?しないか?姉妹に聞けば分かると思うのですが、知りたくないと解釈せざるを得ません。いずれにしても利敵発言を、
次々と行えば、司法妨害の協力者になるのではないのか?親族の方はには注意してもらいたいと思います。公安当局の自浄が行われなければ、
管総理大臣は先に当方に謝罪してから、責任該当者を処罰しなくてはいけないのです。前例を創る勇気の問題です。当事件は、私自身の使命を基準に、独自に
検証すれば、神によって官憲の自浄作用が促されていかのような印象を受けます。
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