自分の心の世界は自分が王様です。自由に空想すれば、誰でも自分が
王様になるのです。男女の愛でも、最終的には衝突するようになっているのです。相手が自分を好きでなくてはいけないのです。「自分で創った世界」は、
自分以外の人が創った世界とは違うのです。自分が見ている赤い色は他人が見ている赤い色と、同じ色であることは何者も証明できないのです。類推すれば、
AさんBさんの想念の中に在るαさんは、別の人(別の色合いを持った人)なのです。あの世は、想念で創った象徴の世界と言えますが、事実ならあの世、即ち、
それぞれの個人が、自分の還る世界は人間の頭数だけあることになります。以上は客観性や相互関係を全く無視した自分本位の世界観であると云う他はないのです。
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しかし、テレパシー現象があると云うことは、とりも直さず
想念行為の中にも相互関係があると云うことです。言い変えれば、自分が見ている赤い色は、他人が見ている赤い色と同じであると云う根拠にもなります。
あの世は、想念で創った世界であるとしても、全体で創った世界であるとも言えるのです。その中に自分の想いも反映されていると理解すべきです。
魂の合一など空想物語としか言えません。以上を勘案すれば、この世で現実の交流を欠いて、想念で交流するとおかしなことになるのです。死者の霊と交流している
ことと同じ状態になるのです。ちなみに私が生きていることは、全ての人が知ることができるのです。この世に生を享けた以上、この世が一番大切なのです。
この世的な修業を飛び越えて霊の世界に入るのは危険です。
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修業の場を紹介すれば、却っておかしくするような者に
上記を批判する資格はないのです。又、霊魂の世界にダウンラインがあるならば、私が、特定霊魂を自分のアップとすることを否定したと云うことで、
霊子線を切ることにより死なせることができれば、私のダウンは、全て死ぬことになるのです。このようなバカげた話はないのです。
私のダウンが飛び越しで生かされるなら、その論理は私にも当てはまるのです。さらに私の宗教の源初は、PLは教団でしたけれども無神論者同様なのでした。
現在でも名残があります。但し、神を逆恨みしないように自分で努力することは、心がけていました。無神論者とも言い切れないのです。
転生するなら日本なら北海道、外国なら北欧、サハリン、ニュージランドがお勧めです。
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