遠隔催眠での想念による対話を行うと寝ても覚めても、終わらない
場合がありますので気をつけなくてはいけないけません。言葉の対話なら、相手がいなくなれば終わりますが、心の中の相手など、居なくはなりはしないのです。
正常な精神活動を維持するのには、上記よう現象を正常な遮断できるか?どうか?になります。自分で、遮断できなければ、除霊など他に頼る他ないのです。
自分でできる遮断は、想念活動の内容を日記などの、文書で表わしておくことが一つの方法です。他人に見せなくてもよいのですが点検反省する必要はあります。
公開する必要があれば、自分の都合の良いところだけ拾えばよいのです。送念相手との公開の行い合いになれば、公開できなくなった方が、
相互の想念活動から去らなくてはならなくなります。
けしからぬ想念が繰り返し、しっこく想念の中に出てくれば
「出る所に出てみろと」言ってから、相手にしないことです。蹴ったくるより仕方がないのです。(想念の中のことですので、現実の言葉ではいけません)
それができなくなれば、相手に侘びなくてはなわなくなり、想いでは如何に謝っても解決しませんので、結局、現実の言葉で謝らなくてはならなくてはならなくなります。
現実に謝れば、何に付いて謝るか、と云うことになりますので、現実の問題として、押さえ込まれることになるのです。気をつけなくてはいけないことは、
想いの中での対話は、一種の自問自答ですから、良心の呵責がそうさせる、とも言えるのです。現実に相手に謝罪しなくはならなくなると云うことは、
一面では良心の呵責がそうさせる言えるのです。
A
自分が特定の相手を想定していたとしても、現実に相手も想念で
対話していたと断定はできません。ですから、謝罪することはよいとしても、非難することはできないのです。想念の対話を外に表わす場合は、
特定の相手としてはいけません。単に「カクカクシカジカの想念が生じる」と云うことで、特定人から送念されたものか?どうか?を突き止める必要が生じるのです。
方法の如何にせよ自分の課題になるのです。但し以上に関しては、親密な人でこの世を去った人なら防御する必要はありません。この世を去った人には、
乱暴な言葉は言うべきではありません。諭さなくてはいけないのです。この世に在生する人でも、気さくに話し合える間柄の人も問題ありません。
親密な間柄とは言えない人に関しては後で誤解が生じたり、確かめたりすると心証を悪くします。気をつけなくてはいけません。
ちなみに私は、他人相互間の想念の対話を遮断する能力はありません。
尚、私の想念の中に繰り返し出てくる未解決現象は、オハラ樹脂工業で谷口建彦の顔を見た件については、彼が勝手に私の職場に関わったことですので、
コチラから挨拶に出向く必要はないと思っていました。GLA側は、今更職場などに出向なくても、当時文書でやり取りしていた、関芳郎氏が一言、
遺憾の意味を伝えれば済むことだったのです。(實君自称養父の長男)をGLAに誘ったのは、このような展開になることは思いもよらなかったのです。
トヨタ&GLAの中で霊的iに優位の立場が築けると思ったからです。!結果的にこのような、展開になって遺憾であると思っていますが、
どうすることもできないのです。トヨタ&GLの責任を追及するしか仕方がないのです。私のできることを行うより仕方がないのです。
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