▲霊道現象(GLA初代教祖高橋信次氏が、不特定個人を対象として
霊道を開き?過去世の人生を誘導していた現象)は間違っていて法律で罰することも、道徳として咎めることもできないものでした。
社会的に悪影響を及ぼさなければ、間違っていてもよいものなのです。しかし、霊道を開いた人は、覚醒の言葉は間違っていてはいけないのです。
霊道現象の記憶を覚えていれば、現実の意識との間に、因果関係を意識する可能性もあるのです。その人独自の因果の法則が創作されてもおかしくないのです。
▲GLA二代目教祖高橋佳子の教説に従い、愛を基にして全てを
判断すれば覚醒の度合いによって、常に変るのです。即ち、同一人においても、小年期の愛の概念と、青年期、壮年期、老年期の愛の概念は全て異なるのです。
下から上は見えないのですから、上記霊道現象が真実を証明できるものであれば、覚醒の度合いによって、常に変るのです。例えば、この世で壮年の人が、
過去世の老年時代の愛の概念を取り戻せば、現実の意識との間に矛盾が起きてもおかしくないのです。道理に反することを行えば責任が生じるのです。
▲高橋佳子の教説の一つに「最後の最後までやらなくくてはいけない」
と言うものがありました。しかし、厳密には、最後などありはしないのです。「何をもって最後と云うのか?」前提条件をつけなければ、
最後という概念すら無意味になるのです。脳障害でこの世の責任が果たせなくなった人(当事件に於いては、私の叔父である山口武雄)は、最後を過ぎた人なのです。
労務管理にかんするノウハウに付いては、既に国連に寄付すると言ってあるのです。誰が管理するか?はソチラの問題なのです。後から報告して貰えばよいのです。
2007年08月16日⇔「矛盾が明らかになって以後は別問題である」より再編集
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