想念を映像化する技術があるのか?30年以前には
ビデオカメラなどなかったのです。8mm映写カメラも一般人など所有してはいなかったのです。私の小学生時代の映像が映写されているような
イメージによるインスピレーションが入りました。事実なら誰がどのようにして撮ったのですか?想念の映像化の技術は過去生も可能ですか?お尋ねします。
もし想念から映像を撮れる技術を開発されたなら、監督官庁に届けなくてはいけないのです。勝手に行えば処罰の対象になります。
上記技術は両刃の剣となりますので、処刑は何者も行ってはいけないなどとは言えないのです。アニメ映像を創作しても実情は反映させても、
事実ではないのです。監督官庁には調査と取り締まりをお願いする次第であります。
この世に死刑と云う刑罰がある以上死刑に相当する罪を犯した人を
霊的理由で刑の執行を阻止してはいけないのです。(過去世の生が証明される時代になればよいかも知れない)但し、法廷で審判されるものに限ります。
行政による処罰は、法廷審判を基準として判断しなくてはいけないものと思います。死刑に相当する罪を行政指導しなくてはならない場合など、
公の場で説明できるものではありません。ラスプーチンの資料がロシアに残っていれば、手口から人間の転生の手がかりも得られるかも知れません。
同様意味では、自分の人生を残しておくことも意義があるか?と思います。過去世の生が証明できれば(人間の転生が証明されたこととは違う)
この世の司法制度も変えなくてはならなくなります。
私は、想念が身体を離れて、単独で存在できる霊の世界の存在は
可能性があると思っています。想念のばかりではなく、古来から伝えられているような霊の世界の存在も否定はしていません。さらには、
人知で推し測ることのできない世界の存在も否定していません。しかし、特定個人を対象に、証拠の提出ができない霊的因果を当てはめることはいけないと思っています。
過去世も含めて霊的な現象は個人の想像に類別される現象と位置づけてきました。しかし、想念の想像化ができるとなれば、
霊の世界が実在すると云う主張も可能なのです。又、霊の世界は無数に存在すると考えることもできます。
例えば、Aさんの観る世界とBさんの観る世界が違っていてもよいことになります。以上が真実としても、霊的因果でこの世の賞罰を行えば、
何らかのう都合が生じると思います。
|