私としては、決意は信じてあげたいのはヤマヤマですが、(迷わないも決意の内)
心が変わるものはどうしょうもありません。今生は失敗だったと言っても、想念の相互交換が克服(乗り切れないようで)できないようで成功する分けはないのです。
科学技術が進めば、ピストルに核弾頭を入れて自爆テロができるようになるのです。力至上主義社会での掟は、結果の解っているようなことを行うなと云うことです。
この世では結果は後から分るものですが、あの世では先に結果かが分るのです。この世では因果は順を追って展開されますが、あの世では遡って展開されるのです。
したがって、あの世の法則をこの世に持ち出せば出鱈目になるのです。
少なくても、結果は時間と共に変化しますので、同一現象も異なる結果から遡ることになるのです。上記理由により霊的因果は、
この世に持ち出して使うことはできません。使うとすれば、因果ではなく別の名称になります。既に、検察では使われているのかも知れません。
検察は靖や幸恵さんにお伝え下さい。事件が解決すれば、(個人的にでも)おふくろさんや辰男さんのお墓参は行います。解決しない前ですと迷惑がかかりますので、
遠慮させていただきます。尚、検察に連行されて行く可能性も無きにしもあります。その節は宜しくお願いします。
ク
循環文明二順目については、はじめから行う意志がないなら
三順目に移行できず挫折とみなせます。続けても意味がないのです。以上は侮辱や厭味で記したものではありません。順を追って記した帰結です。
上記も私の想像から展開した論理ですので、真実かどうかは分りません。霊的な幻覚の有無については、私は幻覚が生じたことはありませんので、
内容については語る資格がありません。しかし、空想を基に問題提起はできます。個人的には(私にとっては)事実の有無の問題解決が先です。
(上記々事の掲載は間違いを犯さないための自己確認事項とさせてもらいます)
尚、創作用語になりまが、循環文明では弁護士のような役割が考えられますが
仮に密教方式として、業務にたづさわりたいとの意志を持つ人は、やはり権力者のお抱え弁護士のようになたっり、信者やスポンサーの利益を保護せざるを得ない
事態は避けなくてはいけないと思います。循環文明(創作語)とは一時代を築いた文明とすれば、
現代文明は文字文明と言えます。(現代以前は一部の人の特権)同時に循環文明一順目と位置ずけることができます。二順めはテレパシー文明一順目となります。
尚、私は密教の如何なる宗派のといえども、後継者になる気持ちはありません。