「お前は女の味を知らん!」だと「ではお前は知っているのか?
特定女性の味を知っているだけだろう」「負け惜しみは言うな!いい加減なことを口走っていると名誉棄損になるぞ!」女のことを言うなら、
「オレはトヨタに妨害されたから困っただけで、英二の錯覚がなければ困りはしなかったのだ!」英二の錯覚はお粗末もいいところだったのです。
錯覚で人間評価をされれば、全てが間違って当然です。霊的に捉えれば、下から上は見えないと云う証だったのです。
以上の言い草に遺族が怒ってもどうしょうもないのです。怒れば、害己の身に返るだけなのです。私だって頭にきているのです。
谷口を批判するに至った時にでも、彼が、一度でも公的な場で発言すれば(個人的な話ではなく)このような事態にはならなかったのです。
仮に私が女癖が悪いとしてもノウハウを放置していて良いと云う
理由はないのです。どちらの言い分が正しいか?オバマ大統領に訊いてみたらどうか?末端の警察官も、どの道表には出せないのだから、
「人倫に反することでも、何んでもヤッテやれ!」と云う姿勢があったのだろう。どの道表に出せなくても、
警察官たる者は行ってはいけないことは行ってはいけないのです。警察がヤればドミノ倒し式に皆ヤルるのです。これも、心当たりのある人の問題です。
(異議を唱えれば心当たりがあることになる)私は、証拠をもって記しているのではないのです。霊的な罪は免れないのです。トヨタの両氏の存在自体の罪は重いのです。
豊田英二の現在の生死などに私は関心などないのです。どの道解決できないのなら、国が困ろうが何だろうが、私には関係ないことを知らなくてはいけません。
ノウハウ関連事件は、既に国の自業自得の領域に入っているのです。
どの道メディアは豊田英二、章一郎の表向きの業績の報道は行っても真の業績など報道しないのです。上記は、上は命題をすり替えたのではありません。
同時に二つの命題を謳っただけです。複眼(身体機能のことではない。霊的な意味。身体的には動物は全て複眼)とは、
自分自身の言っていることをもう一つの心で観る(目的は何か?流されてはいないか?すり替えてはいないか?矛盾はないか?など点検する)ことです。
よく言われている心眼とは違います。複眼を養うと他人もよく分るようになります。しかし、自分を棚に上げて他人ばかり観ていると反作用が起きます。
生命の危険以外の利得による打算で、さじ加減を行うと霊的にマイナスになりますので悪しからず。(命の危険がある場合はさじ加減を行うべきです)
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注:私個人に関しては、如何に国が困ろうと、大海勉君に代理謝罪を行政指導できる道は残されているのです。苦情は受け入れられません
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