当方が発案したとするノウハウ関連事件に関して
私は、個人的なことと公のことは切り離すべきだと主張しているのです。どちらを表で行い、どちらをウラで行うべきか?
など関与できる立場ではないのです。私に「どうしたら良いか?」などの質問は無意味なのです。世の中にはもっと不都合な状況を抱えている人もいるから、
現状のままで結構でございますなどとは言えないのです。例え現状の打開は不可能であっても、責任追及を中止する気持はありません。
私が国に屈伏すれば、高橋佳子と大川隆法が蘇ります。
二女の尚子は、法務局に問い合わせた結果、「事実は存在しないと」
と答えられたと報告しましたが「人権侵害だ!」とも言っていました。国を相手して勝てる人はいないのです。外国の調査機関は名前を挙げるべきです。
国は、ウラで始末できない人をウラでやれば、私ばかりではなくカルト側にも勝てなくなるのです。身勝手なことをすれば、
誰かがこらしめなくてはならなくなるのです。高橋佳子でも大川隆法でも、国の不当な行為があれば、得たりとばかり管理当局の不当性を非難するのは明らかなのです。
「何を考えているのか?」と言いたくなります。
キ
分かり易く言えば、私が国に負ければ、長女の純子に
謝らなくてはならなくなり、純子から私は大川隆法に謝らせられる事態になるのでした。最終的には私を質に取られて国は、幸福の科学に手も足もでなくなるのです。
従って国の権威で何者といえども暗殺するなどと云うことはできないのです。衆人環視の前で「殺せ!」と言えばよいのです。
個人的なことは、行政解決を行っていただくより仕方ないのです。思想に関するものは、私に謝ってもらうべきことではないのです。
矛盾を解ける人などこの世にはいないのです。
注:国の権威で「暗殺」とはたわ言もいいところではないのです。
現実に口封じは存在するとしか考えられないのです。40年前の豊橋警察署の前で起きた事故は何なのか?いずれ詳しく記すことにする
(ノウハウ件には関係ない)から先手で(ノウハウの件で)謝罪した方がよいのではないか?又、如何に霊能力で危険な事態を感知していたとしても、
ヤルべきことをヤラずして護っていたとは何事かと言いたくなります。リバティーにノウハウの件を一項目載せれば危険など吹き飛んでいたのです。
自分の立場を有利にするために他人の危険を利用しようとの意図が見え見えなのです。宗教を標榜する者の考えることではないのです。トヨタも同じなのです。
2007年08月14日⇔木漏れ日の空間「誰のための気遣いか?」より
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