大川総裁の肖像写真の効力を吟味する




下記の箇条書きを勘案して、幸福の科学の肖像写真販売の件を
吟味すれば、明らかな詐欺行為です。法律的に咎められない行為は、詐欺行為でも容赦なく行い、取締る方は、法律に外れたことはできないと云う 事情が隠されているのです。以上が悪魔の考えることであることは、解っても、それと指摘することは、私も、一朝にしてできはしなかったのです。 しかし、立場を変えて私なら、相手から指摘される可能性がなくても、詐欺に相当する行為は行いはしないのです。肖像写真販売の件は、大川総裁は、 相手から指摘できなければ、悪行も辞さないと云う姿勢の証になるのです。法的に処罰不可能な悪行は、ロシアに解決してもらうより仕方がないではないか? アメリカが、。手出しすれば、法律に抵触して解決できなくなるのです。だからと云って法律を無視すれば、後になって高橋佳子に挙げ足を取られるのは、 目に見えているのです。日本が手出ししても同じなのです。 

 

(1)肖像写真は、霊的効果が無効なものと認めて、代金の返却を申し
出られれば応じます。
(2)肖像写真を返却して、代金は返却して貰う必要はありません。触れ込み通りに
有効なものにしていただくことが、責任の取り方ではないのか?
(3)「無効なら返却すればよいではないか」との言い分は責任の所在のすり替えと
言わざるを得ません。商品自体に効力が備わっているのか?いないか?が
考慮されていないのではないのか?
(4)購入すれば、幸福の科学が困難解決などの問題に協力できると云う付帯条件が
あるなら、協力すればよいではないか!

さらに最近の空耳(一種の霊感)からの情報(不規則なものを
接合して一つの情報としたもの)を元に空想(霊感ではない)を発展すれば、大川総裁も何者かによる幻術をもって、心や性格を変えられたと 云うこともあり得るのです。(最初からUFO現象⇔超常現象と霊現象の区別がなくおかしいところはあった)その根拠として彼は、 「自分の心をガラス張りにしなくてはいけない」と教説していましたが、上記肖像写真の販売の件は、心の中をガラス張りにできるはずはなのです。 何らかの矛盾を隠さなくてはならなくなるのです。

低能者ではあるまいし、解らないはずかないのです。仮に本願を
放棄しなくてはならなくなり、ヤル気を喪失したとして、一度でも志を立てた者の行うことではないのです。間違いを正してやり直さなくては いけないのです。当然何らかのハンディキャプが付くとかんがえられます。上記については、副総裁が一番よく知っているはずです。 (はじめからおかしいのか?、途中からおかしくなったのか?)、一連の現象は、自分の間違いを何者かの間違いにすり替える演技 かも知れないのです。宗教に何故演技が必要か⇔悪魔の悪知恵に対抗するため⇔目糞、鼻糞の仲かになる)副総裁も同類だとしても、 国家公安の責任当局は事情聴取すべきです。

嶽道様のお守役と想像する、清水靖に要請します。「あのな〜
加代子さんは、お母さんが三代松さんと同棲する以前は、三代松さんが、他家の畑からかぼちゃを盗んだことで、幼少であり、彼女自身も食べることに困難を 抱えた状況の中で、ひどく憤慨するような子だったのだ!オレは、そのことを知って、よくも言えることだと感心するほど、悪いことを行うことが嫌いな子だったのだ! 歪められた境遇がなければ、悪意でことを行うような人ではないのだ!」「お前など知りはしないのだ!」「境遇のせいで、心がおかしくなったか? と思うと、どうしても憐みの情が湧くのだ!」

彼女は、過去世で権力の座から愛人を処刑された恨みがあって
今世においても心の深いところで理由なく私を殺したくなっても、殺せはしないのだのです。「靖は、余計な心配はするな!迷惑だ!何の言われがあって心配すのか!」 と言わざるを得ないのです。「今生は権力の座には居ないのだ!」彼女の深層意識の中の歪められた境遇のひかみの意識から、 境遇に恵まれた者をいじめたくなっても、「オレは、お前達のように、いびられもしないのだ!」「いびられずにヤリすごす自信があるのだ!」 「彼女を信じていると云う分けではないが、オレは、陰で何を行ってもらっても悪意で行うような人ではないことは知っている」

唯、やりっ放しと云うことは、許せることはないので、咎める
ことはありませんが、行ったことは暴かせてもらうと云うことなのです。私にも面子はあります。以上とは別に、大川氏と、 どちらがアップか?解らないような者に彼女が、ひっ着かれていてはどうしょうもないのです。事実としてぎんみすれば、通常では、青少年期に面識が あったと云う程度では、そのように強くひっ着りないはずです。何か隠された要素があるに違いないのです。重大な隠し事と言わざるを得ません。 そのような者を許して、もし間違いが起きれば重大な責任になるのです。「ろくな者ではない」のです。 後悔しなくてはよいように行います。

又、靖は、嶽道様のお告げと称してるものの中に、侵入された
創作想念を根拠としてい可能性が強いと思います。創作想念の中身など関係ないのです。何故なら創作想念などなければ、判断も違ってくるのです。 創作想念を送り込んでいる者をシャットアウトさえすればよいのです。問題をすり替えることが、又、ズル賢いと云えるのです。創作想念を各方面に 送り込んで全体としての姿を勝手に指し示す行為なら、そのような手段は、処罰の対象とされるものです。個人のもんだいではないのです。 さらに、想念の交換について、想念上で互いに格闘的になったら、交換は中止すべきなのです。互いに謝罪すべき懸案が生じたなら、想念上で行うのではなく 実際の言行で行うべきなのです。何故なら、実際の言行と想念のヤリトリとは丸反対のことを行い「いびる」ことが可能になるのです。



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