以下は、嶽道様の御守役を行っていると、推測している清水靖(父親違いの弟)
伝えておきたいことです。「霊的なことは人間の魂を向上させる目的になっているのだ!しかも、仕組みは単純ではないのた!人のふんどし(嶽道様)
をまとって、偉いような気になっていれば、罰が当たるのだ!」一般的な事柄に置き変えるえれば、霊感があると云うことは、魂に、本来の自分(潜在意識含めた自分)
である守護霊に、祀られた霊魂が指導霊として付いていると云うことなのです。しかし、指導霊は面倒が見きれなくなれば去ります。
入れ替わりに悪霊に憑依されるのです。そのことに気付かずつ、依然として指導霊に指導されていると思い込み、間違いに気付かなくり、
周囲にも迷惑をかけることになるのです。
他人(心の中に内在する指導霊、霊魂)のふんどしで相撲を
とるような姿勢は、間違いなのです。如何に特定霊魂の御守役といえども、この世で人間として生きている以上、人間として生きなくてはいけないのです。
自分の判断を放棄して、全てを霊魂のせいにすると云う姿勢は間違いなのです。指導霊も嫌気がさして立ち去らざるを得なくなるでしょう。
霊の世界に深入りする前に、人間として正しい生き方を確立する必要があるのです。年齢的に手遅れかも知れないが、知れないが、私の抱えている事態は
社会的な影響が大きいので、他人にお手伝いしてもらっても、間違いないよう対処してもらわなくてはいけません。
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注意点を示せば、この世における霊的現象は、人間一般の魂を
磨くためにあると観て差支えないのです。例えば、「オレの守護霊の方が嶽道様より、霊格が上である」と云うこともあり得るのです。
そのような場合がなくては特定霊魂のふんどしで「相撲をとる」現象を咎めることができなくなるのです。祀られた霊魂以外にも、新興宗教の
「教祖のふんどしで相撲を取る」現象も、自分自身を見失わせる現象と考えます。人間たる者が祀られた霊魂を盾に偉いような気になって、
人間としての良識を放棄するようでは、罰が当たってもおかしくないのです。(悪霊に支配される)人間の道は道理にさえ適っていればよいと云うものではないのです。
「オレ<しか注意できる者はいないだ!」矛盾にの悪性を指摘するために
道理を持ちだせば、今度は、道理を盾に自らの言行を正当化する者が出現するのです。もし、上記が事実を表していれば、靖では、
荷が重すぎるとも考えますが、それでは困ります。私は、私周辺の縁ある方々に当ページをお借りて、ご支援を要請する次第です。
他人の揚げ足を自分の利益のために、自覚的にとる想念行為は悪党の行うことです。無自覚的なものは悪魔の仕業です。霊の世界の悪しき霊魂に憑依されていると
云うことなのです。一口に言えば憑依現象なのです。本人が気付いて改善すれば悪党にはなりませんが、気付いても正当化して、
改善しない姿勢は悪党なのです。悪党はこの世的に処罰対象とされる者です。
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