来世の夫婦の約束をこの世に在世する者が行うことに関して
私は、はじめから、現実の夫婦以外は、何らかのトラブルや困難が生じますので、行うべきではないとの見解を表わしていました。しかし、契れば、
現実に実現する可能性があれば、いけないと主張しても、阻止することはできなくなるのです。自分に関係する事態が及べば、何らかの対策を取らざるを得なくなります。
その一つとして縁結びは、必ずしも夫婦でなくてもよいのです。不都合があれば、兄妹、叔父姪でよいと考えます。取引は本来はよくないのですが、
止むを得ないもの又は、愛に属するもの(物品、金銭に関するものでも無償の贈与は愛なのです)は許されると見なしてよいか?と思います。
私は、多大な金銭的な利益を有効なものとして、自らの手に
入れらることなく人生を終えることは確実ですので、縁のあった人に配分して何が悪いか?
と云うことになるのです。実際に来世があるか?どうか?は確かめようがありませんが、仮に来世の縁結びの取引としても、神の前に恥じることはありません。
以上は、高橋佳子の批判しそうなことですが、事実なら「お節介」にすぎないのです。最後は力勝負なら、何を行ってもよいではないのか?何で彼女の土俵で力勝負を
行わなくてはいけないのか?何の資格で介入できるのか?と言いたくなるのです。皆さんも考えてみていただきたいと存じます。
彼女の見解、言行は衆目にさらす必要があると考えるのです。以下は、推測の領域のものですが、見解を表明するきっかけになったものです。
想念上で、何者か?は、特定できませんでしたが特定の人と
来世を契る意味(風俗とする)の概念が入りました。創作想念とは思いましたが、受けて立つより仕方がなくなったのです。証拠はありませんが、
いわば、挑戦を受けた状態に嵌りましたので、該当する事態の状況公開は、止むを得ないものであると心得ます。但し、行うべきことではない、とは、
行ってもよい場合もあるのです。当方は不都合は起きません。一律に判断してはいけのせん。ご注意願います。又、私の一人相撲であったとしても、
私には<確かめる手段はありませんので、何者といえども、私を罰することはできないと考えます。ご了承ください。
|